第103回 野田大志(2006) 分析可能性の低い語彙的複合動詞に関する一考察
−「落ち着く」の意味分析−<要旨>

 
 本発表は、現代日本語の語彙的複合動詞「落ち着く」の意味分析を行い、語彙的複合動詞の意味拡張の一つのパターンを示すと共に、従来詳細に扱われることの少なかった分析可能性の低い語彙的複合動詞の認知的な意味分析の方法論を模索する際のケーススタディとする。
 語彙的複合動詞は様々な領域で研究されてきた。(cf.構成要素間の統語的関係を分析する語構成論・項構造による制約やLCSを考慮した構成要素の組み合わせ規則の分析を中心とする語形成論)これらの先行研究には複合動詞を構成要素の意味の総和と捉える還元主義的な傾向が見られる。
 しかし両方もしくはいずれかの構成要素の意味が抽象化した、分析可能性の低いと思われる複合動詞は先行研究においてその存在は指摘されつつもリストアップされるに留まることが多く、それらの複合動詞の意味構造は前述の枠組みでは捉えきれない。そこで、これを構成性の原理によって間接的に規定されるものではなく認知主体の概念化の認知プロセスを反映する意味を担うゲシュタルト的な構造体と位置付け、その代表例の一つとされる「落ち着く」を考察対象とする。
 まず「落ち着く」の確立した複数の意味として次の六つが認定できる。1.<対象(人)が><移動を経て><ある空間領域に><到達し><そこに留まる>(ex.三度の引っ越しの末、金沢に落ち着く。)2.<対象(人)が><変動を経て><ある社会的立場に><属し><そこに留まる>(ex.転職を重ねた父が、サラリーマンに落ち着く。)3.<対象(思考上の産物)が><変動を経て><ある点に><帰結する>(ex.わが社の来期の経営戦略は、会議の結果A案に落ち着いた。)4.<対象(物事・心情の状態)が><変動を経て><安定する>(ex.日本の景気が徐々に落ち着く。)5.<対象(人の言動・態度の性質)が><動揺せず冷静である>(ex.彼は常に落ち着いた語り口で発表をする。)6.<対象(色・音・表現の性質)が><適度に調和が取れていて派手でなく穏やかである>(ex.この洋服の柄は落ち着いている。)
 別義2,3は基本義1からメタファーによって生じた意味であり、別義4は3からメタファーによって生じた意味であり、別義5,6は4からメトニミー(変化の経過の含意が失われ、変化の結果のみがプロファイルされるようになる。)及びシネクドキー(4における<安定>から、5,6におけるより詳細なプラス評価の<安定>へ。)によって生じた意味であると捉える。なお採集した実例における使用頻度の程度差や母語話者の想起しやすい意味の調査によると、プロトタイプ的意味は5や6であると考えられ、基本義(拡張の起点となる意味)とプロトタイプ的意味にずれが見られる。
 次に「落ち着く」には文法的性質の変化も見られる。意味1,2,3から4への拡張に伴い「落ち着く」が主にニ格によって表される着点を要求しなくなる点、また4から5,6への拡張に伴い「落ち着く」の基本形での使用が消失し、タ形(連体修飾の形容詞的用法)やテイル形(対象の状態・性質)のみの使用となる点である。(cf.脱カテゴリー化)これらの形式レベルの変化を、抽出されるイメージ・スキーマに基づきラネカーの提案する主体化も関わる認知プロセスの変化の反映と捉える。
 最後に「落ち着く」の多義的別義と構成要素の意味との関連性を考える。(「落ちる」には七つの、「着く」には三つの確立した複数の意味を認定する。)まず直観的に、「落ち着く」の2〜6の使用において構成要素の意味を意識する程度は極めて低い。さらに意味記述のレベルで具体的にみても、「落ち着く」の基本義1は「着く」の基本義(<対象が所属していた空間領域から移動し異なる空間領域に到達する>)を意味的主要部としつつ、その<移動>・<到達>の結果を「落ちる」の別義の一つ(<対象がある状況から異なる状況へ変化しその所属・結果が決まる>ex.製品が希望入札価格で落ちる。/家が人手に落ちる。)が補足的に付加している事態を表すと分析することは可能であるが、「落ち着く」の別義2〜6と構成要素の意味との関連性は非常に抽象的なレベルでしか抽出できず、その抽象度は「落ち着く」の意味が周辺的になるに従って高まる。つまり「落ち着く」の多義的別義を構成要素の意味の純粋な合成として詳細に捉えることは難しいが、構成要素が複合して生まれた「落ち着く」の基本義1によって表される事態を基盤とした比喩的な概念写像(cf.放射状カテゴリー)や認知プロセスの線状的な変化を、分析可能性の低下と相関的に位置づけて捉えることで「落ち着く」のゲシュタルト的な多義的別義の創出を具体的かつ詳細に分析、記述することが可能である。
 以上の分析から、認知言語学の諸概念を援用することで相当数の分析可能性の低い語彙的複合動詞の意味を適切に分析できるという見通しを提示する。

【引用文献】
籾山洋介 (2001) 「多義語の複数の意味を統括するモデルと比喩」 (『認知言語学論考No.1 』ひつじ書房).
Langacker,Ronald W(1987) Foundations of Cognitive Grammar Stanford Univ.Press.
Langacker,Ronald W (1999) Grammar and conceptualization Mouton de Gruyter.



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